今週の仕事おわたぁ〜。
筆者の職場には、22歳の女の子と21歳の男の子がいる。
いつも男が女にぎゃーぎゃー文句ともとれる注意を受け、すべて「はい、すいません」で流して早3年来の付き合いだそうだ。
相変わらず、この2人は一緒になると女がかみついていく。
しかし筆者は男に対しても、女に対しても何とも思わない。
2人とも言ってることもやってることも同じにみえるからだ。
てゆか、若いなぁ〜ってしみじみ思いつつ、これから2人とも大人になっていくにつれて丸くなっていくんだろーなー・・・とまるで引退した祖母のような目でみてしまうのだ。
年・・・とったね。
筆者が22歳のころは・・・なんとゆーか・・・
まだ大人になりきれていないのに大人扱いをされることに苦しんでいた記憶がある。
とゆーか、急に20歳を超えると、「常識」という言葉に振り回されてきた。
どーやらこの世の中は常識と呼ばれるものが幅を利かせているらしい。
でも、いつ常識ってこうゆうものだって教わったっけ?
常識、常識、常識、常識・・・・・・・・漢字だけ覚えたし(笑)
結局、怠慢な「常識」をもつ大人たちのおかげで、未熟者がゆえの自信のなさを、他者との比較によって無理やり埋めていたように思う。
たかが20年ちょっとで大人扱いされる方がめーわくだっつの(笑)
煙草と酒をどうどうと飲めるのは、せめてもの抵抗さ。
職場のしゃべくりおばさんだってもう約50年は生きてるのに、筆者からみたらなんでも報告したい年頃の子どもみたいだ。
誰にでも何歳になっても子供みたいなところはいっぱいある。
みんながみんな、他人の子供っぽいところを認めてあげて、長い目でみてあげたらお互いさまなんだって気づくだろーにな。
そう、みんな孫の成長を見守るような眼で。
常識という言葉は筆者は嫌いだ。
人間が作り上げた世の中、人間関係で成り立っている世の中、常識という名の多数派ばかりにえらそうな顔をされたくないものだ。
もっと団塊の世代の大人たちは、最近の若いものは・・・と嘆く前に、若いものにどうなって欲しいのかを伝えるべきだと思う。
それが「常識」じゃないのか?